野草園の石彫 いろいろ

stnk1913932009-11-09

8時起床。。。朝から曇り空、気温は、20℃に満たなかったようだが、風もなく〜〜静かな一日だった。
午前中は、急遽な用事があって中心街へ出掛け、午後は、野草園に行ってパチリを〜〜右の写真は、昨日、係りの方に場所を聞いたが探せなかった{サルトリイバラ}です。
サルトリイバラ(猿捕り茨)。。。花期は、春です、今、赤い実が放射状に付いている、別名は、サンキライ(山帰来)と書いてある。
〜〜サルが引っかかってしまうという意味だそうだが、実際に引っかかるのは衣服をまとっている人間である と図鑑に書いてある〜〜

〜〜{万歩計:11,475歩}〜〜


〜〜仙台市・野草園を歩いて 石彫を撮ってみた。
ちいさき者 ふたり

銭持ち花地蔵。。。山の畑でお爺さんは花を作り、おばぁさんは花を売りに町へ下りた。
その山道に立つお地蔵さんの手には、いつも小銭が乗っていた。
花が売れない日は、お地蔵さんの手からお金を借りてお米や味噌を買い、売れた日にはお返しをした。
地蔵さんの首には、いつも綺麗な花輪がかかっていた、おばぁさんがあげたものだ。
いつからか”銭持ち花地蔵”と呼ばれ、旅人も助けられていた。
(かんのくにお[草と花の童話]より)

旅人二人。。。平成元年は、芭蕉みちのくの旅三百年目だった。
お供の曽良と仙台入りしたその日は軒にショウブとヨモギを束ねてさす5月節句の前日だった。

はまなす

蝦夷の娘。。。花物語〜〜広大な大地の山々は、緑に囲まれ、広がる平野は、黒々とした肥沃な土に覆われた、ここ”みちのく”は、食糧にも恵まれた平和な楽園だった。
この”みちのく”を蝦夷と卑しめ野蛮な人種と謗り、征服にのりこんできた大和の大軍に、勇ましく立ち向かった蝦夷の人達は、各所の敵軍を苦しめた。
しかし、敵はその数を増やし、その数万の敵にはかなわず、ついに降伏してしまう。
この抵抗の陣頭に立った族長に、やさしく器量のいい二人の娘がいた。
この二人には、将来を堅く誓い合った若者がいたが、どちらもこの戦いで、帰らぬ人となっていたのだ。
勝利に酔い、勝手にふるまう敵兵たちから、二人はそれぞれに逃れた。
姉の娘は奥山へ、奥山へと。妹娘は野を越え山を越え、ようやく浜辺にたどりついたが、いたましや、娘たちは力尽きてしまうのだ。
今、奥山に咲くエゾアジサイは、蝦夷の姉娘の化身。そして、北国の浜辺に咲くハマナスは、妹娘の化身なのかもしれない・・・・・・。
(野草園の係りの方から頂いた書類の説明文を載せてみた〜〜花を見る目が少し変わるかも? ね。)

どんぐり小僧。。。”小山の大将 おれ一人 あとからくるもの つきおとせ・・・”
どんぐり山で腕をくみ、子供たちよ 元気に お山をかけまわれ! と。

コロボックル 二人。。。コロボックルは、アイヌ語でフキの葉の下に住む人の意味。
また、大昔アイヌの人たちがまだ住む以前の石器時代に北海道に住んでいた人たちとも言われる。